イラク百年史からみるイラクディナールの現在

当たり前のように使われているイラクディナール

イラクやシリア、クェートなどはもともと「オスマン帝国」の一部として広大な領土の上に栄えていました。
しかし、1914年の第一次世界大戦によってその繁栄が崩れ去ってしまいます。

第一次世界大戦とは、ドイツ・オーストリアの同盟国とイギリス・フランス・ロシアの連合国との戦いです。
オスマン帝国は同盟国側に参戦するも敗北してしまいます。
敗北によってオスマン帝国が解体され、国境線を勝戦国の三国にとって利益になるように分断されてしまったおかげでイラクでは、シーア派(60%)スンニ派(30%)に分かれてしまうことに。
時は、1921年。分断後に誕生したのがイラクです。
その後、イラクは、1957年までイギリスの支配下(植民地)におかれます。
そして、30%にあたるスンニ派が武力によって60%のシーア派を抑圧しようと企みます。
その中心的組織が、昨今、度々ニュースで耳にする「イスラム国」です。
このイスラム国と対立関係にあるのが「アルカイダ」。
このアルカイダは、「タリバン」の指導者と後継者に”忠実な指揮官”という敬称を与えることで事実上、従属しています。
この関係が2021年現在、20年以上続いています。
政府軍・アルカイダ・タリバン・イスラム国と各組織の思惑がうごめく状況が続いていますが、

「イラク北部のクルド地域」では、昨今ニュースで目にする機関銃をもった政府軍やテロとは無縁の地域だったりします。
バクダットから車で5時間ほどのこの地域では治安が維持され、イラクディナールが当たり前のように使われています。
この事実をご存じでしたか?

僕が大量保有している「2万5000イラクディナール」が人々の暮らしを支える「普遍的なお金」として日本と同じように使われています。

イラクディナール入門ブログ010

日本でいうところのイオンモールのようなショッピングモールで当たり前のようにイラクディナールが使われています。

イラクディナール入門ブログ011

日本でいうところのライフやヤオコーなどのローカルショッピングモールでも当たり前のようにイラクディナールが使われています。

イラクディナール入門ブログ012

また、クルド地域では、春先や秋口になるとイラク国内の中流階級の人たちが「国内観光客」として訪れます。
山岳地帯に足をのばせばトレッキングを目的にヨーロッパからの観光客が押し寄せる人気スポットがあります。

日本ではほとんど報道されませんが、イラクの中でも治安が保たれ、経済圏が成り立っているのがクルド地域です。

僕は、今後、イラク全体の経済発展に伴ってイラクディナールの価値が高騰していく未来を前述の現状証拠から確信しています。

spacer